{80}石田 潤 (2010)
フロー理論(Csikszentmihalyi, 1975; 1990; 2003)の概論。
「フロー」とは没入状態、すべての意識が目の前の活動に向き、その遂行をまるで流れのように知覚する現象のことを指す。
フロー理論とは内発的動機付けを説明するための理論の1つであり、「楽しさ」という内発的な報酬に着目し展開している。
チクセントミハイによるフローについての研究は、現象学的アプローチを基礎とするもの。自己決定理論のような調査法や実験法がメインの理論ではなく、面接法とそれをもとにした洞察を理論構築のために用いている。質的研究のような側面。
フロー状態の特徴。
「注意の集中」すべての注意が活動とそれを行う情報に向けられている。
「意識と活動の融合」活動の中に意識が没入している。
「自己意識の喪失」自身の客観的視点がない。
「コントロール感」自分の活動やそれに関するものを自在に扱えている感覚。
「時間間隔の変容」実際の経過より長く感じたり、短く感じたり。
「自己目的性」活動を行うこと自体が目的であり、報酬等を必要としない。
「楽しさ」その状態であるとき、楽しさを知覚する。
「流れ感」意識がまるで流れるかのように働く感覚。
フロー状態は条件さえ満たせばあらゆる場面にて生じるとされており、時間的・状況的・或いは行動的な制約を伴わない。スポーツプレイのような負荷が大きく長時間なものでも、音楽を聴く等の負荷が少なく短時間なもの(マイクロフロー)でも、会話などの日常的な場面においても生じるという。
フロー状態の条件。
「達成目標の存在」達成しようとする目標状態が明確であること。
「課題の適度な困難度」達成しようとする目標や課題の困難度が適切であること。
「フィードバック」目標や課題の達成度についての適切なフィードバックがあること。
フロー状態の最大の意義は、内発的動機付けの状況下にある人の主観的な内的状態を記述していることにある。自己決定理論のようなある程度客観性が確保されている理論とは別の視点を供給してくれる。
また、取り扱っている幅が広いことも強みの1つと言える。
フロー理論は同じ論理を以てして、望ましくない行為に没入する人を説明できるという強みもある。
フロー理論の課題として、フローが具体的にどういった手順で発生しているのか、なぜフロー状態に楽しさが伴うのかを追求する必要がある。今は「フロー状態の時に楽しさが伴っている」ことのみ説明でき、「なぜフロー状態の時に楽しさが伴うのか」の関係が不明である。
これらの課題を究明することは、フロー理論に"深み"を増すことに繋がるだろう。
「自分の有能さや自己決定性を適正に認知するには、自分の活動の結果を客観的に評価する過程が必要となるはずである(pp. 43)」について。例えば自己決定理論の有能感はその要素を客観的に取り扱っているが、充足をもたらすのは指標で表される客観的な要素ではなくその要素の知覚である。ここで言う知覚は、フロー状態の条件の1つ「フィードバック」と相違なく、程度は主体の状態により定まる。
自己決定理論における有能感は効力感の知覚の欲求であり、これを満たす条件はちょうどフロー状態の3条件と類似する。自己決定理論全体でみれば、自律性など自身を客観視し制御下におけることで充足できる欲求もあるが、有能感などより根源的とされる欲求は客観的視点を必要とせず、効力感の知覚が充足をもたらしている。
とはいえ、自己決定理論は「結果的に効力感を感じたかどうか」を記述し、フロー理論は「今まさに感じている効力感」を記述している。上記にもある通りフロー理論の強みはそこにある。フロー理論は内発的動機付けの極論的な条件を、それを体感した人たちから直接聞き出している。そしてその条件は自己決定理論の有能感と相似しており、有能感が一番根源的な欲求である(清水 2019 など)ことを示唆している[38]。
参考文献
石田 潤, 内発的動機づけ論としてのフロー理論の意義と課題, 人文論集 = Journal of cultural science 45 39-47, 2010-03-29