「ゲーム心理学」知見保管庫

「ゲーム心理学」の参考文献等を投稿します。

第2章

コト的知識観

 

学習とは意図的・無意識的問わない体験による不可逆的な変化[第一章]であり、長期記憶の追加的な変化[187]ともとらえられる。これは、知識が関連性を持ったスキーマで構築されていることも示している。

長期記憶との結びつき、スキーマ形成、ネットワーク構築が学習の肝となる。記憶単体では知識としては成立しづらく、スキーマ形成の作業を経て、はじめて"有用な"知識となる。こうした考え方を構成主義という。

長期記憶には、言語的・文章的な記憶だけでなく、非言語的なメッセージ、五感、感情等があり、これらがスキーマを形成する。こうした情報をすべて言語化することは難しく、無理して伝達しようとした場合、認識が低下してしまう(言語隠蔽効果)。ゆえに、マルチメディア学習(認知負荷理論)[179]が有用なのだが。

学習は長期記憶の追加的変化であり、知識は長期記憶のネットワークにより成立する、またネットワークには言語化不可な情報も組み込まれている。これが、能力の文脈依存性[第1章]を発生させる。

知識の想起に用いるリソースは、言語化された情報だけではない。言葉にできる要素だけで知識は構成されていないので、状況が違えば想起のしようも異なる。状況と個人の相互作用により学習は発生し、能力は左右され、想起される知識も異なる。

街中では普通に運転できるけど、運転シミュレーションだと事故判定が出てしまう。これは間違いなく、走っているときに身体に伝わる知覚の有無が、状況判断・知識・能力の発揮に関わっているからである。

「習うより慣れろ」というのは、こういう認知特性の言語化なのかも。

第1章

文脈依存性。

 

個人は、能力と識別される、成果の原因となる内的かつ安定的な要素を保持しているとされる。クイズ力とか、非認知能力とか、問題解決能力とか。

で、能力は「いつでもどこでもそれが発揮されうる」安定性と、「何かを成すために内に秘めている力」という内在性がある、とされる。

そういうわけではない。

例えば、数学的思考力について、問題の文脈が異なるだけで正答率が大きく異なることがある、しかも再現性がある。基礎的な算数はできるが、まったく同じことを問う文章題では、成績ががくんと下がるように。このとき、文章題ができないから計算能力がない、と決めつけるのは早計だろう。

 

「それは1%の確率で発生する。それを識別できる装置は、80%の確率でそれを正しく識別できる。ただし、それが発生していないものに装置を当てても、9.6%の確率で、それが発生しているとされる」

「それは1000に10つの確率で発生する。これを識別できる装置は、10つのうち8つの確率で、それを正しく識別できる。ただし、それが発生していないものに装置を当てても、1000に96の確率で、それが発生しているとされる」

このとき、識別したものが、真にそれである確率はいくつか。前者だといまいちつかめない。後者であれば、8つと96の比較で、なんだ大したことないことだとわかるはず。

パーセントで記したときには、そもそもそれが生じづらいものであるということを無視する、事前確率の無視が生じやすい。が、数字の表記を変えるだけで、事前確率を無視しなくなる。

『知的好奇心』でもふれられた路上の算数が、ここでも説明になる。机の上では散々な成績の子供が、街中でモノを売るとき、机の上でやった算数よりも複雑なことをやってのける。

 

問題が与えられる文脈と環境により、発現する成績は異なる。これは、能力といえるものが、内在性と安定性を持たないことの証左となる。これは、人間の認知と思慮が、単に内的な知覚で完結するものではなく、環境や文脈との相互作用によりなるものであることが原因。

そもそも能力というものが構成概念であり、場によって発揮が全く異なるとなれば、発現の一端である成果を取り上げ、能力全体を推し量るのは好ましくない。盲目を招いてしまう。

第5章

「つまり意識はボンクラなのだ」

 

ひらめき→どうにも解けなかった問題が、あることに気づき突然解けること。

これは3段階からなる。なかなか解けず、頭を悩ます『行き詰まり』の段階。リフレッシュや思考の転換の意味も込め、別の行為を行いながらも、頭の片隅にタスクをとどめている『あたため』の段階。そして訪れる、状況と認知の結びつき、つまり学習が発生する『ひらめき』の段階。厳密にはこのあと、ひらめきを具現化する『検証』の段階がある。

『行き詰まり』は認知の制約から生じる。これはバイアスやヒューリスティックのような、一種の簡略化のためのものである。思案のために利用できる情報は山ほどあり、そこから連想できる結果も無数にあるが、そんなこといちいち考えていたらきりがないため、ある程度のパターンやフィルターを用意する。

『ひらめき』に到達するには、『行き詰まり』の原因である認知の制約を緩和させれば到達できる。認知の制約の突破には試行錯誤が必須だが、制約を突破した試行の回数、またその試行への評価が、所要時間を短縮させる。で、同じ場所で同じことをし続けて、うんうんうなっているだけだとこれは難しいので、『あたため』が必要となってくる。違う環境にさらすことで、認知心理学における学習の論理上、新しい視点での解釈が可能となる。

また、認知心理学における学習の理論上、対象への積極的な関与が、制約突破のカギにもなる。

なお、試行錯誤のなかで得た知識は、無意識のうちに保全され、回数や評価の分だけ学習される。無意識のうちに私たちは順当に学習するが、それを意識することはできない。「つまり意識はボンクラなのだ」。

また、学習意欲の理論[第一章]と同様、一部は一般化され、ある程度かかわりのある課題に対して、あるいは生活一般について、制約を突破できるボーナスが発生する。これは、制約を突破した試行の回数の増加、またその試行への評価の精度向上、といった形で現れる。言い換えれば、『ひらめき』と『検証』により新しい眼鏡とその扱い方を知った、となる。

 

ひらめきの検証には、認知的な制約が働きやすいパズル問題が選択されている。例えば「Tパズル」、4つのパーツを組み合わせてTの形を作るというもの。