「ゲーム心理学」知見保管庫

「ゲーム心理学」の参考文献等を投稿します。

{29}Granic, I., Lobel, A., & Engels, R. C. M. E. (2014)

ゲームの利点を認知・動機づけ・感情・社会の4つの側面からレビューしたもの。

 

ゲームの動機付け・認知的利点を特に調べている私でさえ、教育目的で利用することに多少の違和感というか、嘲笑いを知覚する。どこか、たかが娯楽と思えてしまう。あんなのただ視聴覚を過敏に刺激するだけのおもちゃであり、我々が思案する五感にあふれた現実とは格が違う、と。

ゲームの利点を知覚するのであれば、まずはそこから払しょくするべきだろう。つまり、遊びや娯楽がもたらす利益について理解する必要がある。古代ローマではパンとサーカスが求められ、1940~50年代には探索行動に関する解像度の低さから動因低減説が棄却されたように、それは人間の発達に欠かせないものである。

ゲームは特に問題解決・意思決定・実験的行為などの高次の認知能力を用いる代替的な空間として機能する。現実には不可能なことを、現実ギリギリまで寄せた文脈での施行も可能である。また、どのようにすれば不快感なくゲームをプレイできるかといった、人間の認知能力の分析やデザイン構築などの認知的要因もそこに含まれる。

ゲームの楽しさは心理学の言葉で十分に解釈可能なものである。特に、直観的操作や失敗時のコスト調整、難易度調整を組み込むことにより、教育界隈が切実に欲しがる動機づけの粘り強さを再現している。この構造の分析と一般化は教育界隈等に利益をもたらすとされているが、ゲーミフィケーションやゲームベースラーニングの実証例のいくつかは、教育界隈の強制的文脈が根本に粘り強さを喪失させていることを暗に示している。

動機づけ面での改善は感情的効果の改善に相関する。また、大半のプレイヤーは感情的快楽を得るためにプレイしており、これもステレオタイプ的なイメージとはかけ離れている。ゲームプレイにより喚起される攻撃性は欲求阻害によるフラストレーションがもとであり、暴力的描写を好むのはもともと攻撃性が高い人であり、現実逃避を理由にプレイする人は少数派であり、IGDは二次障害的な表出である。

ゲームは個々の活動で成り立つものではなく、ある種の文化的発展により支えられている。友人との時間の共有が有意なプレイ動機であることは、驚くまでもない事実だ。ミクロな集団活動から、創作活動とそれを受け入れる人によるマクロ的文化圏まで、相互作用している。

本論文はゲームを用いた認知行動療法への示唆を述べてくくられている。神経科学や臨床的分野に限らず、ゲームという領域には多数のリサーチクエスチョンが残されている。これはつまり、学術界隈においてもゲームという題材はまじめに扱われていることを意味している。

 

 

参考文献

Granic, I., Lobel, A., & Engels, R. C. M. E. (2014). The benefits of playing video games. American Psychologist, 69(1), 66–78. https://doi.org/10.1037/a0034857