「ゲーム心理学」知見保管庫

「ゲーム心理学」の参考文献等を投稿します。

{51}Richard M. Ryan, Edward L. Deci. (2006)

SDTのうち、意思決定の権限、または意思決定のための情報を要求する欲求である自律性に関する議論点とそれに対する反論をまとめた論文である。読み返し推奨。というかいまいち把握しきれてない。

自律性の存在証明。因果関係、病理的証拠、神経的メカニクス

Eisenberger and Cameron (1996) と Deci et al. (1999) による外的報酬の効力を巡った争い。

バンデューラ(1989)による自由意志の存在証明のような下り。「事実上すべての行動は環境に依存するため、自律性は存在しない」という論調は、動機付けの"火種"、つまりきっかけを説明するのに非常に遠回りする羽目になる。

Pinker (2002)「自己という概念は脳が作り出した幻想である」と仮定した時、複数人で行われる複雑なやり取りを解釈するのがほぼ不可能になるぜ。どの神経回路を活発にさせるかを考えるよりも、シンプルにその子の動機付けのためにどう接したほうがいいかを考えたほうが合理的だし現実的(Deci and Ryan 2004)。

Wegner (2002) 無意識的な行動の帰属について。無意識的な行動の存在は自律的な行動の存在否定にはつながらず、別の尺度軸で考える必要がある。ただし、マインドフルネスによる自覚は自律性の充足に繋がるという知見から、無意識的な行動はある種外発的な行動であると位置づけることができる。「生得的に知的好奇心旺盛であり、自身の理念・性格・行動を統合したがる性質を持つ」という前提より。

Wegner (2002)のすべての選択肢が自律性充足に繋がらないとする主張について。選択肢そのものは自律性とは別であり、重要なのはその選択肢を「選ばされる」のか「選んでもいい/放棄してもいい」のかである。ちなみに後に得られた知見では、「選ばされる」状況であっても関係性の充足により動機付けをカバーできるらしい、いわゆる内在化である(Xue-hua Bao et al. 2008)。でも内在化と選択の自由を混在させないでほしいな。

自律性の充足による動機付けの向上に文化的差異はない。あるとしたらそれはどの文脈が充足に繋がるのかという点である。

 

「概念について批判するのは構わないけど、せめて正しく引用してからモノ語ってくれ」

 

 

参考文献

{51} Richard M. Ryan, Edward L. Deci. (2006) Self-Regulation and the Problem of Human Autonomy: Does Psychology Need Choice, Self-Determination, and Will?  Journal of Personality Volume 74, Issue 6 p. 1557-1586