「ゲーム心理学」知見保管庫

「ゲーム心理学」の参考文献等を投稿します。

{68}Paul J.C. Adachi, and Teena Willoughby. (2011)

暴力的なゲームと攻撃性の相関をうたう実験に対する2つの批判。

1つ目。暴力以外の攻撃性に関連する交絡変数の統制がなされていない。GAM(Anderson and Bushman 2002)に則れば、攻撃性の表出は生理的覚醒やフラストレーションを介しているという。であれば、他に覚醒や不快感を刺激するような要素、例えば競争・高難易度・行動のペースなどが表出にかかわっていてもおかしくない。が、大半の実験は子の可能性を考慮していない。計測した攻撃性が本当に暴力の暴露によって引き起こされたのか、吟味する必要がある。

2つ目。攻撃性を計る尺度の曖昧さ、一貫性の無さ。よく使われるのはTCRTT、競争下でのボタンの早押し、勝ったら相手に不快刺激を与えることができ、与える不快刺激の強さで攻撃性を計るという。この指標の問題点として、不快強度を決定する参加者の動機が不明瞭であること、攻撃性が一様に測定できないこと、攻撃性の尺度として妥当性に欠けること、が挙げられる。要はこの指標、攻撃性じゃなくて他の要素、例えば競争性を計っているんじゃないだろうか、という指摘。不快刺激の強度は相手に対する攻撃ではなく、競争における妨害行為、或いは報復を反映している可能性がある。

 

GAMに則れば、攻撃の表出は刺激に対する認知の偏重により決定され、このループが長期的な人格を象っていくらしい。であれば、暴力的ゲームの短期的暴露による攻撃性の表出には対象の性格がかなりの割合で関わることになる。長期的暴露についても、性格によるところが大きいだろう。

それに、真に暴力描写への暴露が攻撃性の因果関係を持つのであれば、ゲームでなくともある程度一般性を持った結果を返せるはずである、例えばワイルドスピードみたいな暴力的な映画とか。この場合も、その人自身の性格特性に配慮する必要がある。コンピューターゲーム特有の没入感が関わっているというなら、それは暴力性ではなく没入感が何かをもたらしていることになる。

ちなみに、Barlett, et al. (2009)の実験で用いられたホットソースパラダイムは攻撃性尺度としての収束的妥当性が裏付けられているらしい。参加者が投入できるホットソースの量は、サクラ(研究者)が「辛いものは苦手」としっかりと提示さえたうえで、競争性もなんの絡みもなく決定されるため、他の個人に害を与える意図の強さを明確に評価できるとのこと。ダニエルクルーガー効果の「お笑い」ぐらい雑な指標だと思ってたけど、マジか。

 

 

参考文献

Paul J.C. Adachi, and Teena Willoughby. The effect of violent video games on aggression: Is it more than just the violence? Aggression and Violent Behavior Volume 16, Issue 1, January–February 2011, Pages 55-62