「ゲーム心理学」知見保管庫

「ゲーム心理学」の参考文献等を投稿します。

{67}Sebastian Deterding. (2016)

ゲームプレイは、CETにより定義される自律性阻害の条件によって、統制的動機が伴うようになる。

以前からまとめていた、選択の余地を代表とする自律性の担保と強制の文脈の違いが「ゲームと宿題の違い」、という主張を支持する質的研究。

具体的には、ゲームプレイに社会的責務などの外的因果による統制が加わった文脈では、それに統制動機が伴うことが報告された。いつ遊ぶか、どれぐらい遊ぶか、やめたいときに辞められるか、これが外的圧力によって封じられている時は「楽しくない」という。プレイ時の戦略、プレイヤーに合う戦略の選択を封じられることも同上。またゲームプレイが仕事などの責務を伴っている場合、例えばゲームレビューの仕事とか、失敗による損失が大きいため、責任感等の圧力も加算される。

また、これらの圧力による統制動機はMMORPGなどのマルチプレイゲームにおいて簡単に再現できる。この場合の社会的責務とはチームへの貢献であり、圧力とはチームメンバーによるもの。またマルチプレイ環境下では、人間は無意識的に感情表出を統制することが示唆され、これも自律性阻害の要因としている。外的圧力に苛まれない、自分だけの空間を整えプレイするときが一番楽しいと報告。

なお、多少の圧力や統制は圧倒的な内的調整の傾向によりかき消されることがある。[63]と主張が一致する。

 

ゲームにおける統制動機の発生条件は、他の仕事におけるそれと大差ないことが示唆された。特に選択の余地。自身の統合に一番貢献する行動を選択できるという文脈が自律的動機を促進し、自身の統合の件が無視された選択は統制的動機を促進する。ゲームプレイの楽しさの大部分を担保しているのは、ここにあると推測。

ゲーミフィケーションであれ何であれ、そこに強制の文脈が存在する限り、統制動機を発展させる。これは私がゲーミフィケーションの教育環境における大規模運用に懸念する主な理由。特に学校は強制が充満している。

→もしかしたら、その強制に対処するために報酬型ゲーミフィケーション[45]を利用しているのかもしれない。報酬は短期かつ興味のない課題をやらせるときの動機付けとして有効だとされている(Deci et al. 1999)から。だとすればそれは屈服を意味し、ご褒美で釣る従来の戦略と大差ない。課された子供たちは直ちに、ポイントとアチーブメントの荒稼ぎのためだけに夢中になり、学問的達成は遠のくだろう。

ゲーム内進捗自体は圧力ではない、それは強制を伴わないから。ゲーム内進捗を外部から強制された時に、統制動機は生じる。

 

半構造化面接。n=19、男15。90分。自律性等の高/低を経験したプレイ文脈を報告。

 

 

参考文献

Sebastian Deterding. Contextual Autonomy Support in Video Game Play: A Grounded Theory. CHI '16: Proceedings of the 2016 CHI Conference on Human Factors in Computing Systems. May 2016 Pages 3931–3943